はじめまして、しろきちです。
簡単に自己紹介します。
- 独身
- アラフィフ
- 資産2000万円
持っている資産のほとんどを投資信託で運用中です。
伴侶なし子どもなしの定職なしのないないづくしのわたしが
どうやってこれまで過ごし、これからどうしていくのかを書いていきます。
心と体の変化
20代から30代まで新卒で17年間働きました。
いろいろあるけど楽しい仕事でした。
趣味は仕事といえるくらい打ち込んでいました。
たまにある休日は映画をみまくるそんな日々でした。
充実した日々をおくっていると思っていたのです。
ただいつからか体の疲れだけでなく心も疲れていることに気づきました。
それでも仕事にいき、残業あたりまえ、休日出勤たまにある状態で何年も働いていました。
そしてある日、動けなくなりました。
プツッと電池がきれたみたいでした。
頑張りすぎていたことに気づかずがむしゃらに突き進んで倒れたみたいな感じでした。
30代 過労からくる心と体の不調を知る
一番忙しかった時期、私の月間の労働時間は380時間を超えたことがありました。
過労死まっしぐらの働きかたでした。
目のチックがいつまでたっても治らないのです。
いまなら無理してたことがわかります。
当時は無理していることすらわからなかったのです。
ストレスで過食になり、チックが治らず、夜ねむれない、朝ふとんから出られない。
そんな状態になり、ようやく精神科を受診。
うつ病になっていました。
他人から言われてはじめて自分の現状を受け入れることができました。
そうか!疲れているだけではないのか!
現状を理解してしまうと今度は仕事が辛くてつらくてつらくてなりませんでした。
結局、仕事を辞めました。
好きな仕事でした。
でももう続けていくことも、休職して復帰することも辛いだけのように思いました。
この頃に学んだことは、自分を過信しないことです。
まだ体調も大丈夫、疲れててもまだいける!などと自分を過信するのはよくないと学びました。
40代 何もかもうまくいかない
仕事をやめた後、ゆっくり静養することをひたすら心がけました。
しかし辞めたのに仕事のことをいつまでも考えてしまうくせのおかげでゆっくり静養することが難しかったです。
この頃、仕事をしていないという劣等感のようなストレスを自分にかけていたようです。
円形脱毛症になりました。
小さいものから大きなものまで円形の脱毛が多発するのです。
これは今現在(2022年4月)まで続いています。
円形脱毛症になって困ったことが、気づかないうちに髪の毛がよく抜けおちることです。
仕事をさがそうにも求人の多い小売業も飲食業も、髪のことをかんがえると二の足を踏みます。
結果、客前にでないパートをはじめました。
何年か働くうちに人間関係にストレスを感じるようになったのです。
クリニックでストレスを切々と訴えたら2度目のうつ病診断。再発です。
パートにいくことが辛くてまた辞めてしまいました。
一度、うつ病になってストレスの上限が下がると、つぎからは少しのことで重荷になるようです。
この頃、学んだことは少しでもストレスを感じたら体や心を休める努力をすることです。
自分の機嫌は自分でとるしかないと感じました。
50代 挑戦する気持ちになる
くよくよと考えこみ遅々としないながらも50代を目前に新しくなにかしたいと考えはじめました。
そして出会ったのが投資でした。
ビジネス書をよみ、ネットで情報収集、えい!やってみよう!とはじめてみました。
私は投資信託で運用しています。
大きな値動きはありませんが、日々の小さな上がった下がったが楽しいです。
月曜日が待ち遠しく感じるのは、はじめての感覚です。
確かに含み益があるのはうれしいです。
それ以上に会社員時代の張りつめた感覚を思い出し、生きがいのように感じます。
人間関係も時間的拘束もないことで気楽にいきていけているように思います。
はじまったばかりの50代にして学んだことは、支出<収入になるなら世間一般の金銭感覚は気にしなくて良いということです。
少しの節約で気分よく生きていけるなら、それで良しとすることを学びました。
これからの目標
生活について、節約のしすぎは精神やむのでほどほどにすることとします。
投資とお金について勉強をつづけていこうとおもいます。
気負わずに興味をもったことをやってみるつもりです。
そして身につけたことを備忘録として、ブログに書いていきたいとおもいます。
まとめ
うつ病はくりかえしなるもので、一生自分の心と体にお伺いをたてながら付き合っていく予定です。
自分に正直にゆるくやりたいことを追求して、投資のはなし、お金のはなし、趣味のはなしについて書こうと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。